理想の彼女

世の中に吐いて捨てるほどいるこの今の地球で、自分の理想に見合った人を見つけることは酷く困難だ。
ましてや生き抜く事ですら恐ろしい。
甘えが充満している。
事実に硬直している。
それを考えると僕は、まぎれもなくここで、途方もないくらい幸せだ。
幸せだ。
しかしながらそれはあくまで全体と照らし合わせた相対的なものに過ぎず、僕の心の状態はというと完璧にそれとはとても言いがたい。
相対的なものですら確かにはならない。
二つに一つしかない選択肢で僕の心はあらぬ方向へ動き始めている。
理想というものは排他的である。
それゆえに酷く幻想的だ。
理想というものに忠実に完璧であろうとするには、またそれの中で生きようとするならなおさら、結局は全てを自分で作るほか無いのかもしれない。


彼女。
僕の紛れもない彼女だ。
明ける前の夜のような人だ。
過ぎ去った電車の余韻のような人だ。
赤ん坊のように無垢で大きな目。骨格も非常に整い、寒気がするほど黒く細い長髪。眉は柔らかくあり少し強気な性格を思わせるはっきりとしたもので、美しい少女のような綺麗な声。
それはまるで子供のよう。あどけない存在。
無垢で汚されもしない胸像のよう。
頬は少し赤みがかり、少しだけ厚い唇は血のように赤く染まっている。
それを見て僕はかろうじて彼女が体中に轟々と生命を流しながら生きていることを確認する。
デジャブのような存在。
何かに似ている。


その体は、その幼い顔とは不釣合いなほど、ふくよかな胸。その細い手足を支える大きすぎない腰周り。まるで濃厚なワインを入れたグラスのように心地良いくびれ。背丈は高く肉付きもよい。弾力のある肌は抱きしめるとたまらなく体中を痺れさせてくれる。
吐き気がするくらいのその肉は、獣さえ食うのをためらうだろう。
肌は酷く透きとおり、しかしそれ以上に性的だ。
神の作品なのだろう。
世界で唯一存在より神秘が勝った生物だ。
何かに似ている。


なにより彼女は造形的に完璧に僕の理想その物だった。
彼女を見た瞬間僕の鬱々とした精神は何もかもを失った。
そして祈り願い確信した。
それが僕のために生まれたものである事を。
僕が常に求め続けていたものが終に具現化されたということを。


そして今彼女と一緒に暮らしている。
毎日のように会話をし、傍にいる。
いつだって彼女は決して怒らず泣かず、かすかに微笑み続けている。
僕に甘えるようにくっついて、僕のために息をする。
僕のために飯を食べ、頬を赤らめ、思い煩う。
ありとあらゆる僕を受け入れ、その行為自体を幸福と感じている。
この酷く退廃しきった状況にさえ満足し、おそらく死ぬまで望み続ける。
変化などとうに忘れてしまっただろう。
僕にとって何よりの彼女。
理想の彼女。


また今日もスイッチを入れる。
ためらうものは何も無い。
誰のためでもなくこの状況を想う木偶だけのために。
そして彼女とゆっくりと、そして味わうように会話する。
この片隅で。目を見つめ。
会話はいつだって唐突に始まる。
「人はなんでこんなに不完全なのかな。」
彼女はいつだって微笑んでいる。
まるで微笑んで生れそのまま死ぬ人形のように。
「あら? あなたは私の完璧な人よ。」
息が僕に届く頃には僕は幻想のようなその一つの音の響きに驚愕する。
救済を追及したような記号の集合体。
解けるまもなく僕の中の蟠りが静かに音を立てて壊れていく。
それでも僕は相変わらず自分が嫌いで、やるせなくて、たまらなくて。
「君に後悔はないのかい?」
もはや僕にためこんだ鬱々とした表情はない。
ただ痛みのような罪悪感と依存だけだ。
「悔やむならば、それはきっと今だあなたを救済できない出来損ないの私だけだわ。」
それはよくない。
完璧なアナタが自分を卑下してはいけない。
それは神に対しての冒涜だ。
天使の存在しないこの世界の不条理だ。
あなたの正当性は火を見るより明らかだ。
それを責めてはいけない。
ましてや僕など。
「今からここを飛び出せるならば、君が紛れもなく君ならば。」
そうだ。
僕はいつも考えている。
もはや現実を凌駕したその想いを。
僕の不幸による正常を。
「私と私が一致していれば、私は私では決して無いのよ。アナタという片割れを落としてしまえば、私なんてただの肉の塊に過ぎないのだから。」
理解できない。
醜い僕の効力など。
汚いこれの強さなど。
皮肉にもこれ以上なく酷く心は満たされる。
残酷な気持ちにさえなる。
このまま一緒に生きていきたい。
そんな醜い願望がドロドロと零れ落ちる。
「僕はこんなにも酷い事ばかりやってきてしまったんだよ。助けも何も要らない。もはや存在という君に酷く背徳心さえ感じているんだ。」
最近の僕は胸がうずくから、決まって愚痴をこぼす。
まるで僕を追い詰めるように。
まるで今の状況をにらみつけるように。
おそらくそれが最後の手段だ。
この絶望に対する終わるべく用意された手立てだ。
「でも、あなたはこんなにも優しいでしょ?」
なでられた髪は不潔にも油まみれだ。
そんな事など初めから触覚が反応していないかのように彼女は笑う。
僕は涙をこぼす。
子供のようだ。
畜生のようだ。
親に対しても余り愛情を実感できなかった僕がそれを彼女と重ね合わせる。
酷く醜い。とりとめもなく声に出す。
もはやただの犬の口笛のようだ。
言葉にならない想いが記号にすらならず漏れ出す。
彼女はそれを見て少し哀しそうに笑って、でも少し優しくて、そっと抱きしめてくれる。なんの躊躇もなく。
自然がそうであるかのように。
そしてポツリと確認するようにささやく。
「私の全てをあげていいのよ。あなたのためなら、なんだってできるわ。わたわたしのすべてすべはあなたたたのためめに。」
あ。
絶望が胸をうずかせるが、もはや慣れたものだ。
僕は静かに腕の時計に目を当てる。
そろそろ時間か。
僕は少し苦しくて、酷く心が荒みそうになるけれど、反面いつだってこの瞬間を待ちわびている。
目の前は少なくとも変わらないから。
彼女は決していなくならない。
いなくならない。
いなくならない。


僕は一度しか擬似人格形成装置のスイッチは押さない。
それ以上はいつだって無意味だと分かっているから。
「あーだ。あだーあ。あばばばばばばば。」
今の彼女は本来の忌み嫌われた奇形生物に過ぎない。
美しき獣。
残酷な完全。
完璧すぎる矛盾した体を得るにはもはや特殊な細胞じゃないといけないのだ。
世界は痛みだ。
不条理は悪だ。
亜人間廃棄工場で肉として処理されるべき家畜。
美しいこの体ですら、正常な人格を持たなければただの肉の人形とみなされてしまうこの時代。
役に立たなければもはや価値がない社会。
僕はいつものように軽い頭痛を感じ、吐き気がして、そしていつものように改めて彼女を抱きしめる。
彼女は自ら快楽を得るために進んで体を摺り寄せる。
僕はそんな彼女に少し救われてだけどやっぱり哀しくて、自我を忘れて真っ白になった頭の中で体に素直に動かす。
引き裂くように。
むさぼり続け。
何度も何度も突く。
何度も何度も転げまわる。
寒いほどの快楽だ。
美しいほどの痛みだ。


世に言う二次元愛好者である僕が、三次元では到底なりえない性質を求めたばっかりに。
それが叶ってしまう奇跡にめぐり合ったばっかりに。
この偶然に。
この状況に。


神様には感謝してる。
仕合わせが訪れた幸せな僕。
しかしそれ以上にこの世界を憎んでいる。
理想は酷くもろすぎる。
彼女といる事が幸福すぎて痛いのだ。
世界の歪みはなぜこんなに中途半端なのだろう。
感情さえなくなれば。
もっと欲望ばかり追い求めていれば。
僕はもはや果て落ちた自分に少し笑い、汗まみれでしかしながら素晴らしい彼女に毛布をかける。
虚無感に苛まれながら。
しかし現代社会の愚考の産物に明日も手を伸ばすのだろう。
意志を汲み取って人格を形成するなどという悪魔を。
醜く世界を侵食する人間、そんなものの祈りなんていつだって二つで十分だ。
ただこの日々が永遠に続きますように。
そして独りで死ねますように。