腕裂きジャック

作者もこの発想を思いついたときは陳腐だと思ったものだが。
最初に。
この小説は題名の通り痛々しいものにはならない。
主人公となるであろう人物も辛く痛くとしょっちゅう腕を切っているわけではないと明記しておく。
そもそも彼はあまりにもあっけらかんとそして余り深みに入らずにきっていた。
そして隠さなかった。
今の作者にはそれがある種の誇りにさえなっている。
さて。
追加するなら。
もちろん面白おかしくもならない。


さて、作者の学友Kについて。
一日聞き伝えから。


彼はとても几帳面な男である。
その日も、目覚まし時計を随分早くセットし、その通りに起き、丹念に顔を洗い、精密に歯を磨いたのだろう。
ある意味機械的に全てを終えると、栄養バランスをある程度考えた食事をこなしただろう。
作者の予想では、納豆と卵を二つ使った玉子焼きに白いご飯。あとはコンビニなどで買ったであろうサラダというところ。
そしておそらく授業開始の30分ほど前に大学に着くように嬉々とし登校したのだろう。
おそらくその行程で30分ほど消費したはずだ。


電車の中では夢うつつになりつつ席を確保し。
授業の内容を頭の隅に置きながら音楽でも聞いていただろう。
三十分ほどの登校時間にも一年になる。慣れはしないとしても痛みは痺れ始めていたと考えられる。
ちなみにこのとき作者はまだ夢の中で怖い思いをしている。


そしてようやく大学に着き、一時限からの授業のいい席を確保し。
ここからは作者の知っているものなので事実を。


作者が開始時間ギリギリに登校すると彼は後ろの程よい位置に座っていた。
作者とKはほぼ同じ授業を一日にわたり受講している。
授業が始まり先生の話が始まると、正直不真面目であった作者は彼の清潔な授業態度に半分ひやかし半分敬意を込めて。
「けなげだね。」
と発言したのを覚えている。
確かその時Kはうれしそうでも一種のからかわれた時の不快なそれもなく、
「うん。」
とだけ答えていた。


美術史論、写真論などのせめぎあいの中作者がまたもや夢の中で論争を繰り広げている間もKは非常に良く知識を得ていた。
事実、その甲斐あってか彼は非常に博識であり。
様々なものを心得ていたように思う。
しかしながらその反動に変な事を言う、または感知するほど少し神経質になっていた。


くだらない世間話をしている時、Kから「トイレから手が出てくる」と聞いた時、僕は酷く安易な発想だと笑ってしまった。
その調子で彼はいつも突拍子のない事を言う。
例えば煙草のフィルターに火をつけると良く燃えるとか。
例えば良きことも悪いことも想いひとつだとか。
例えばウッドベースの音が好きだとか。


作者はそういう話を常に聞き流し、容易いユーモアだの、ちょっとした変人衝動だの考えていた。
それがもしかしたら兆候であったのかもしれないと考えると、作者は後悔の念を辞さない。


さて4時限まで終えて、彼は音楽サークルへと向かおうとする。
そのサークルではセッションなる即興の演奏を主とした活動をし、彼のウッドベースはそのたびに轟くようだ。
あまり真面目に生きようとしない作者はそれを見送ると家路へ向かった。


ここからまた聞き伝えなため、推測を織り交じる事を許してほしい。


Kはその日随分調子が良かったらしい。
普段彼自身自分に自信がないためか、反省点ばかり追いかけているような活動をしていたのだが、その日は幾分演奏が上手くいき、おそらく彼自身も多少なりの満足感に浸っていたように思う。
サークルにはKの彼女も在籍して確か、その日もいたようだ。
仮にMとする彼女は、作者は余り接触がないのだが、どうやら偏屈な娘だったようだ。
学校のかかわりからかイラストに興味があった彼女は、学科の授業をほったらかしでイラストに没頭していた。
一度Kから自慢ついでに見せてもらった時その絵を見てどこまでも奇妙だと思った。
恐怖は感じない。
可愛さはあるものの、どこまでも皮肉と笑いに埋め尽くされているようだった。
その日もそのMとKはサークルの合間煙草を吸いに禁煙と書かれたスタジオの近くの溜まり場で愛でも語ったのだろうか。
今になっては知る良しもない。
もちろん全くといっていいほど女に縁のなかった作者には興味のなかったことでもあったが。


サークルが終わると決まって仲の良いグループと近くの定食屋で食事をしていたKは、その日も例にならってたわいのない話しをし、親睦を深め、サークルでの居心地の良い位置を築くためにもその会食に参加していたのだろう。
幾分顔の整って、清潔感もあり、理知的であるKはサークルでも人気があったらしい。
それを頻繁に冷やかしていた作者に、痛くもないような顔で笑っていた。
Kはいったい何を食べたのだろうか。
それに満足したのだろうか。
その時点ではけして苦しくはなかったとは思うが。


そしてKはまた同じ道のりをゆき帰宅しただろう。
その日はサークルの事もあってかKにはすこぶる気分のいい日だったはずだ。
鼻歌交じりでかえっていたのならいいと作者は思う。
そして後の話によるとKは部屋の掃除をしていたらしい。
隣人の通報によって発覚する四時間を考えるとおそらく二時間弱はそれに没頭していたはずだ。
おそらくゴミを全て整理し、分別し袋にまとめ。
カーテンもカーペットも須らく棚に上げ、掃除機をかけ。
もしかしたらトイレの掃除までしていたのかもしれない。
とにかくKはこの日、特別に掃除を頑張ったのだと思う。
また余談だが、作者は大の掃除嫌いで、暇があればそれを知っているKがきては掃除をしてもらっていた。
彼の掃除の仕方は性格通り几帳面で、まさに隅から隅まで徹底的に仕上げるいい奴だった。
枯葉掃除の合間に音楽を流していたのだろうか。
笑っていたのだろうか。
達成感に打ちのめされながら努力を重ねていたのだろうか。


Kの唯一の趣味はインターネットで会話をする事だ。
会話といっても文字でのだが。
作者自身もそれを好み、こうやって文章を書いている合間を縫ってはよくKと会話をしていた。
とてもくだらない事ばかり語っていた。
暗い事だって吐き出した。
二人してディスプレイの前で笑いあったりもした。
その日も取り止めのない事を言ったように思う。
腕を切っている話もした。
彼は最近あまりきらないと笑っていたように思う。
そういう話をするとある種の気まずさや、仕様のなさが生じるものだが、残念ながら作者もそういう状況が分かる、駄目人間だったため平気だった。
というより作者のほうがその店では重症だったようにおもう。
そして作者はこういってしまったのだ。
「お前も結局腕裂きジャックだよ。」
すると今度は彼は少しだけ嬉しそうに(といってもネット上のため記号でしか判断できなかったが)、
「うん」
とだけ答えた。
作者もいつもどおりだったためそれに何か言うわけでもなく時間だけ一刻と過ぎて言った。
後悔するほどの事ではないと思う。


そして最後に彼の証言を元にして。
Kは作者とのネット上の会話が終わると、須らく寝る準備に入ったという。
清潔な部屋で清潔な自分になり救われた気持ちになりすぐに寝れると思ったのだろう。
そしてベッドの上で転がりしばらく天井をぼんやりと見ているとふとし忘れた事に気がついたらしい。
これは急がなければ、と思い早速探し始めた。
けれどいくら探しても探しても目的のものは見つかりもしない。
30分弱部屋中を彼らしく隅々まで探した後気づいたらしい。
作者はそれを非常に彼らしくない事だと聞いた時思った。
しかし今となってはそれをいうことすらはばかれない。
「掃除機のフィルターの換えが見当たらないんです。」
彼はそう医者に言ったらしい。


そして、たまたまそばにあった高校の時部活に使ったバッドで掃除機に三発。壁に二十数発ほど叩き込み、部屋中を真っ赤に汚すように自らの頭部を壁に強打させ続けた。部屋が目も当てられないような状態になった後は、金属バッドを片手に街中で彼らしいあるものをひたすら破損して回っていた(何をかは作者の口からはとてもいえない)所を通報された。


それの通報にあい病院でのカウンセラーの結果、彼は今神経の病院へ入院している。
病名はあまりに恐ろしく滑稽なため、作者自身触れるのは伏せることにする。その恐怖のせいか見舞いの一つもいってやれてないが、彼はすさまじく硬直し目を仰いでは神経機敏を隠せずにいると聞いた。
恐ろしい。とても恐ろしい。
作者にとって分かち合える数少ない友人のKをそういう手段で失いかけそうになるのは非常に心もとない。
彼は今何を考えているのだろうか。
作者の事が少しでも頭に浮かんでいるのだろうか。
別れてしまったMへの未練はあるのだろうか。
果たして精神として幸せなのだろうか。
作者はそれが知りたい。
同時にもはや作者には知りえないことのようにも思う。


そしてこういう状況の今の平和さが際立った日本を感じ、作者は今現状までずっと恐怖を感じているのを最後に付け加えておきたい。