「レムは旅人」書きかけ。

少女リムはそのとても広く白い部屋の丁度真ん中に床の固ささえ気にせず寝そべっているのだ。
その白く長い足は自分の持ち主が可憐な、それもこの国でもなかなかいない美少女と言うことを忘れてしまっているかのように、恥ずかしげも無くそのスカートから真っ直ぐに伸びきっている。
持ち主であるリム自身もその事実を知らぬように、いや現に知らぬのだろうか、警戒の欠片もない赤子のような寝顔で、ただ上下に白いこの部屋でカーペットになっている。
しかし物語りはいつだって、始まりと終わりがある。
つまりこの少女は目を覚まし、そして終わらなければならぬのだ。
こうも、私が話している間に、私の言葉で或いは目が覚めたのか、彼女は自然に、しかし見るものには劇的なほどの軽やかさで目を覚ます。
舞台の幕は開き、彼女の寝ぼけ眼に私は釘付けになる。
リムはこの広く広くそして真っ白なこの部屋で斯くも一人きりの自分を見つけてしまうように。


「私は此処にいる? 私と言うものはこうして此処にいるのかしら?」
リムはその華奢な両手で薄く両目をこすり、そっと床を押して自らの体をあげた。
その部屋はとてもとても広く、窓一つ無い、しかし眩しいほどの電灯のおかげか、一遍の暗さも無い不気味な部屋だった。
一面は白で飾られ出口らしき、と言ってもそれは鉄格子に違わず乱暴なものであったが、其れを除いては全くの汚れさえ見当たらぬ単色な空間であった。
斯く言うリム自身も白いカッターシャツに少し大きめなズボン、そして自前の硝子のような肌の功績により、黒く伸びた髪やその燐とした瞳が無ければ、この部屋の中にある部外な代物のようには決して見えなかっただろう。
リムは勿論その姿、この奇怪な部屋にも驚きはしたが、何より驚いたのが自分と言う存在であった。
つまりはなぜ自分と言うものがいるのだろう、またなぜ「私」という自我がこの世の中に存在しているのだろう、そして何故自分がリムであるとこんなにも確信しているのだろうと言う、根本的で至極難解な現実が自分のみにおきていることに、である。
まずは自己理解の一歩として鏡を探した。なぜか自らは人並みの知識、或いは物に対する見解を持っていることに驚きながらも、必然として自己確認、つまりは自らはどんな形状を保っているのか体つきから女として生を受けている事は分かってはいたが、矢張り肝心なその顔の形、其れを確認しようと試みたのだ。
しかし其れが無いと分かると、次は自分以外の人間を探すことに努めた。
例え一般的教養、現実把握能力があったとしても(そう本人が認知していたとしても)連続的経験や記憶のそれがない自分は矢張り不完全であり、また人為的なこの状況を打開するのは矢張り人間に他ならないと考えたからだ。
だが、矢張りこの何も設備されていないこの部屋で人間と言う存在を探すのは、リム自身も結果は明白であったし、肝心な唯一の出口である鉄格子は腕力の乏しいリムではこじ開けるどころか、一寸も動かすことは叶わなかった。
「自分も分からず、その状況も自分じゃ解決できないなんて、私は生きるってことを馬鹿にしているみたいじゃない。」
彼女は誰に言うでもなく、そう呟いた。
どうやらその目に違わず、なかなか強気な少女のようだ。
言葉が部屋の中で響き終わった後しばらく彼女は床の上に膝を寝かせうわごとを呟くでもなく天井を見上げていた。
それに飽きてくると今度は自分の指先をじっと見つめた。
なんと細い指だろう。
「これじゃあ大切なものもつかめないわ。」
そう呟くとまた黙り込んでただ指を見つめ続けた。
そしてそれにもあきかけて、今度は自らの服の下でも確認しようかとリムが画策していた頃、ついにリムが今の意識として存在して初めての変化、と言えば大げさだが、出所の分からぬ声が唐突にチャイムが三回なった後レムの耳に入ってきた。
「さて……。」
その声はそう一おきすると、途端に卑猥な人を馬鹿にしたような声で言葉を続けた。
「レムは物語が大好きです。さて何故でしょう?」
その声はまるで謎かけ。含み笑いをした気味の悪いものだったが、リムはひるむことなく心なし天井に目線を向けながらも其れは確かに鋭く尖らした。
「私は物語を好きな私を知らない。謎とはキット記憶の連続で解けるものでしょ?」
その声に答える、とは言ってもこの謎かけの相手がコチラの声を聞ける仕組みがあるかさえ怪しいのは明らかで、半ば先ほどの独り言と対して理由の変わらない言葉ではあったが、彼女はそれでも其れを言わずにはいられなかった。
其れを知ってか知らずか、その声の持ち主は彼女の言葉が届いたらしく、含み笑いを確かな笑いに変えつつ、続けた。
「ハハハ。合格だよ。僕が思う中でもっとも君らしい答えだ。つまりな僕の中の君が今の君と一致している、という事だ。合格合格、斯くも美しいレム嬢、どうかそれを忘れないでほしい。」
放送はそれきりでピタリと止み、其れと同時に強靭な鉄格子は酷く無機質な音を立て、上へ上へと収まった。