「レムは旅人」書きかけ。

少女リムはそのとても広く白い部屋の丁度真ん中に床の固ささえ気にせず寝そべっているのだ。
その白く長い足は自分の持ち主が可憐な、それもこの国でもなかなかいない美少女と言うことを忘れてしまっているかのように、恥ずかしげも無くそのスカートから真っ直ぐに伸びきっている。
持ち主であるリム自身もその事実を知らぬように、いや現に知らぬのだろうか、警戒の欠片もない赤子のような寝顔で、ただ上下に白いこの部屋でカーペットになっている。
しかし物語りはいつだって、始まりと終わりがある。
つまりこの少女は目を覚まし、そして終わらなければならぬのだ。
こうも、私が話している間に、私の言葉で或いは目が覚めたのか、彼女は自然に、しかし見るものには劇的なほどの軽やかさで目を覚ます。
舞台の幕は開き、彼女の寝ぼけ眼に私は釘付けになる。
リムはこの広く広くそして真っ白なこの部屋で斯くも一人きりの自分を見つけてしまうように。


「私は此処にいる? 私と言うものはこうして此処にいるのかしら?」
リムはその華奢な両手で薄く両目をこすり、そっと床を押して自らの体をあげた。
その部屋はとてもとても広く、窓一つ無い、しかし眩しいほどの電灯のおかげか、一遍の暗さも無い不気味な部屋だった。
一面は白で飾られ出口らしき、と言ってもそれは鉄格子に違わず乱暴なものであったが、其れを除いては全くの汚れさえ見当たらぬ単色な空間であった。
斯く言うリム自身も白いカッターシャツに少し大きめなズボン、そして自前の硝子のような肌の功績により、黒く伸びた髪やその燐とした瞳が無ければ、この部屋の中にある部外な代物のようには決して見えなかっただろう。
リムは勿論その姿、この奇怪な部屋にも驚きはしたが、何より驚いたのが自分と言う存在であった。
つまりはなぜ自分と言うものがいるのだろう、またなぜ「私」という自我がこの世の中に存在しているのだろう、そして何故自分がリムであるとこんなにも確信しているのだろうと言う、根本的で至極難解な現実が自分のみにおきていることに、である。
まずは自己理解の一歩として鏡を探した。なぜか自らは人並みの知識、或いは物に対する見解を持っていることに驚きながらも、必然として自己確認、つまりは自らはどんな形状を保っているのか体つきから女として生を受けている事は分かってはいたが、矢張り肝心なその顔の形、其れを確認しようと試みたのだ。
しかし其れが無いと分かると、次は自分以外の人間を探すことに努めた。
例え一般的教養、現実把握能力があったとしても(そう本人が認知していたとしても)連続的経験や記憶のそれがない自分は矢張り不完全であり、また人為的なこの状況を打開するのは矢張り人間に他ならないと考えたからだ。
だが、矢張りこの何も設備されていないこの部屋で人間と言う存在を探すのは、リム自身も結果は明白であったし、肝心な唯一の出口である鉄格子は腕力の乏しいリムではこじ開けるどころか、一寸も動かすことは叶わなかった。
「自分も分からず、その状況も自分じゃ解決できないなんて、私は生きるってことを馬鹿にしているみたいじゃない。」
彼女は誰に言うでもなく、そう呟いた。
どうやらその目に違わず、なかなか強気な少女のようだ。
言葉が部屋の中で響き終わった後しばらく彼女は床の上に膝を寝かせうわごとを呟くでもなく天井を見上げていた。
それに飽きてくると今度は自分の指先をじっと見つめた。
なんと細い指だろう。
「これじゃあ大切なものもつかめないわ。」
そう呟くとまた黙り込んでただ指を見つめ続けた。
そしてそれにもあきかけて、今度は自らの服の下でも確認しようかとリムが画策していた頃、ついにリムが今の意識として存在して初めての変化、と言えば大げさだが、出所の分からぬ声が唐突にチャイムが三回なった後レムの耳に入ってきた。
「さて……。」
その声はそう一おきすると、途端に卑猥な人を馬鹿にしたような声で言葉を続けた。
「レムは物語が大好きです。さて何故でしょう?」
その声はまるで謎かけ。含み笑いをした気味の悪いものだったが、リムはひるむことなく心なし天井に目線を向けながらも其れは確かに鋭く尖らした。
「私は物語を好きな私を知らない。謎とはキット記憶の連続で解けるものでしょ?」
その声に答える、とは言ってもこの謎かけの相手がコチラの声を聞ける仕組みがあるかさえ怪しいのは明らかで、半ば先ほどの独り言と対して理由の変わらない言葉ではあったが、彼女はそれでも其れを言わずにはいられなかった。
其れを知ってか知らずか、その声の持ち主は彼女の言葉が届いたらしく、含み笑いを確かな笑いに変えつつ、続けた。
「ハハハ。合格だよ。僕が思う中でもっとも君らしい答えだ。つまりな僕の中の君が今の君と一致している、という事だ。合格合格、斯くも美しいレム嬢、どうかそれを忘れないでほしい。」
放送はそれきりでピタリと止み、其れと同時に強靭な鉄格子は酷く無機質な音を立て、上へ上へと収まった。

某萌えの賞らしきものの

夏が過ぎ少し肌寒くなってきた今日この頃、俺は幼馴染の薫と町を歩いていた。
新作の映画が好評だというので一緒に見ようとの事。
おいおい、そういうのは彼氏といけよと言っては見たものの、内心ちょっとうれしかったり。しぶしぶついていく振りしながら心の中でガッツポーズ。
で、映画が終わった後、ぐじゅぐじゅ泣きながら出てくる薫に呆れつつもちょっと可愛いなんて思ったりしたり。
俺はそっと頭をなでてやると潤んだ目でこっち見てやんの。
そっけない振りしつつ、やっぱりこいつの事好きなんだなと実感した一日だった。


とブログに書き終えたはいいものの俺、幼馴染なんて居ないし童貞。妄想ばかり発達してどうしようもない。お前らも気をつけろよ。


とサイトに掲載したものの、僕そもそも最近人とすら話してない。頭の中なら会話能力は達者なようです。情けないばかりです。


とチャットで友達に話したけど、私実は女で。
映画館で恥ずかしい姿見せちゃったけど、あの人はどう思ったのかなぁ……。
できれば嘘から出た真……。
なんてね。

目の無い魚がいるという

僕はどこにいるんだっけ。
あ、今僕はパソコンで文章を書いているんだ。
別に書きたいものがあるわけでもなく、ただ。
ただ、なんだっけ?
思い出せない。
僕は何でこんなところにいるんだろう。
煙草に火をつける。
いい煙だなぁ。
煙を吐き出してみる。
なんか変な味がする。しょっぱい様などろどろしてる。
赤いような、鉄のような。
鉄? どっかで聞いたことあるような。
鉄。
なんだろうこれ。
なんだろ。なんだろ。
なんだろ。なんだろ。なんだろ。なんだろ。
なんだろうこれ。
煙が目にしみるな。
僕は泣いてる。
泣いているのは面白いな。
僕は笑ってる。
でも泣いてる。
いや泣いてないや。
ただ涙が少しだけ出てくるだけだよ。


プラスティックのハサミがある。
柄の部分は赤と青がそれぞれで、右利き用だから僕には使いづらいな。
「それで腕を切ってみろよ。」
嫌だよそんなの、痛いだろ。
「切った腕をさ、頭につけてみろよ。」
なんだよ。そんな痛いことできないよ。
「糊はあるよ。今年はそういうキャラでいけばいいと思うよ。」
つけては取れて、つけては取れて。
でも少し面白いかもしれない。
つけては取れて、つけては取れて。
拾うところなんて無様だろ。
つけては取れて、つけては取れて。
あれ、どっちの腕を切るんだろう。
僕は左利きだから、右腕かな。そっちのほうが困らないや。
はさみって意外と切れにくいものなんだな。
ひいてもひいても血が出るだけで。
痛い。痛い。
線を引いているだけ。
ブチブチブチブチブチブチブチブチブチ。
筋でも切っちゃったのかな。
痛くて泣いちゃうよ。
泣いてる?
いや僕は泣いてない。
ただ涙が少しだけこぼれるだけなんだ。


ムカデが僕の身体を這いずり回っている。
ガサコソうるさいなぁ。
今ちょうど手にしていたハサミでマムシを。
振り下ろす。
狙いから外れて僕の腹に刺さる。
すぐに抜いてまた振り下ろす。
トン、と意外と綺麗な音がして、ムカデは標本みたいだ。
ガサコソガサコソ。
暴れまわってめんどくさいなぁ。
気持ち悪い。触角が僕の肌をくすぐってくる。
ムカデの体温かはさみの部分があったかい。


あれ僕は今どこにいるんだろう。
パソコンで……文章を。
「ねぇ。もうすぐ駅に着くよ。」
隣に同い年くらいの女の子がいる。
とても可愛い娘だ。
「綺麗だね。」
僕は率直にその娘のことを言う。
「もう、いきなり何言うのよ。駅に降りる準備をしなさい。」
その女の子は少し照れたようにほほを膨らませそんなことを言うと自分の荷物を肩にかけている。
僕も。
ちょうど横にある荷物はきっと僕のだ。
あ、あの娘が先に行ってしまう。
待ってよ。追いつかないよ。
どんどん離れていく。
僕はたまらずホームに飛び降りる。
僕は座っている。
「ねぇ。もうすぐだよ。」
その娘はまぶたをこすりながらそういう。
僕は、うんとだけ答えると同じように目をこすってみる。
こすっても目のはれぼったさが消えない。
こすればこするほどどんどんこすりたくなる。
左目がとても痛くなってきた。
それでも欲望に勝てず僕はどんどんこする。
これじゃあ白目が溶けそうだね。
そうあの娘に言おうとしたのにいつの間にかいなくなってた。
待ってよ。
それでも目をこする手は止まらない。
痛いけど気持ちいい。
目が見えなくなりそう。
それでもいいかな。
目の無い魚だもの。
僕の目から白目が溶けて垂れだした。
大変だ。拾い集めないと。
僕はそう思いそれをかき集めようと床を這いずり回る。
「へたくそ。ちゃんとやれよ。」
「はは、馬鹿だなぁ。」
「とろま。死ね。」
「ほらほら、それで終わりじゃないぜ。」
「こいつ本当にやりやがった。気持ち悪い。」
「頭おかしいんじゃないの。」
何だようるさいな。邪魔するな。
床と床の隙間にどんどん流れていってしまう。
僕の白目が。誰か手伝ってください。
「あー気持ち悪い。」
「あいつを見てるだけで寒気がするわ。」
「こっちこないでよ! 臭いんだから。」
「あいつ今、私のほう見た。何よ、いやらしい目で見て。」
「どうせあいつ私たちで毎晩いかがわしいことやってるのよ。」
最低。
最低。
最低。
うるさい。うるさい。
みんながそんなこと言ってるから、白目が全部流れちゃったじゃないか。
目が痛い。でも気持ちいい。
痒いな、まだまだ痒い。
目の裏側が重い気がする。
もうかきむしっても何も流れはしない。
よかったこれで安心。
安心して眠ることができる。
そうして僕は電車の座席にもたれかかる。
周りの席からみんなが見てるけど知ったことじゃない。
みんな冷たい目だ。
なんて冷たい目だ。
幾何学的な円と楕円の集合。
それが茶色い世界でいくつも宙に浮いている。
煙草を口にくわえてみる。
「身体に悪いからやめましょう。」
「君、似合わないよそれ。」
「かっこいいとでも思ってるわけ?」
「不良でも無いくせに。」
「死んじゃえ、ばーか。」
みんな笑ってる。
大きく口を開けて。おなかを抱えて。
しまりの無い笑顔だなぁ。
笑って笑って笑って笑って。
口から何か出してるな。
それを拾ってまじまじと見てみる。
ムカデだ。
みんなはおなかのなかでムカデを飼っているんだ。
みんな可哀想。
ムカデは僕の手の上でもがいている。
ガサガサガサガサ。
気持ち悪い。
思い切り握ってみる。
気色悪い感覚。
手の中から緑色の液体が流れ出す。
これで代用しよう。
僕は左目にそれを押し当てて、中に注ぎ込む。
気持ち悪い、けど悪くない。
辺りが緑色に見える。
本当は世界は緑色。
暗い暗い緑色。
僕は今やっと本当の世界を見ることができたんだ。
きっと一番だ。
僕はやっと一番目になれた。
一番は特別だ。
二番や三番と違って特別な人間なんだ。
僕は特別だ。
うれしいな、僕は特別になれたんだ。
誰の特別?
誰だろう。あの娘にとって特別になれればいいな。
「こいつ、また京子さんに手紙書いたらしいよ。しかも詩を書いて。」
「きもーい。根暗。死ね。」
「京子さんおびえてたよ。可哀想に。」
「おい、ムカデ! もうあんなことするなよ。」
「これだろ、お前が送った詩集。読んでやるよ。」
「僕の大好きなあなた。」
「とても綺麗なあなた。」
「僕にとっては君は太陽です。」
「雨が降る時の音色です。」
「あなたは大切な花束です。」
「杏の咲き狂う花束です。」
「僕の大好きなあなた。」
「僕の大好きなあなた。」
「僕の大切なあなた。」
「なぜあなたと僕は一つの生物として生まれなかったのでしょう。」
「なぜあなたと僕は二つ別々の生命体とし、息をし、物を思い、熱を帯びているのでしょう。」
「僕は綺麗ではありません。」
「なぜあなたはそんなに綺麗なんでしょう。」
「僕の大好きなあなた。」
「とっても綺麗なあなた。」
やめろ。やめてくれ。二人の大切な思い出を汚さないでくれ。
みんなはどんどん口からムカデを吐き出している。
ゴボゴボゴボゴボ。
可哀想なみんな。
救ってあげたいけど僕にはムカデの退治のしかたもわからないし、いくら倒しても出てきそうだし、虫苦手だし、安易に殺すのはよくないと思うし、気持ち悪いし、たくさんいるし、僕が悪いわけじゃないし、じっとしとけばいつかなくなるだろうし。
ごめんなさい。
あ、電車が止まった。
ホームに下りよう、あの娘と一緒に。
僕はあの娘の肩をゆさぶる。
「大丈夫。私は起きてるわ。」
そういいながらまた目をこすり、目を開ける。
僕も同じように目をこすり、少し笑う。
彼女も笑う。
僕もまた笑う。
なんて幸せなんだろう。
僕と彼女は手をつなぎドアを出る。
一緒に行こうよ。
駅を出ればすぐだ。
きっともっと幸せにあふれてる。
悲しいことなんてもう何も無いよ。
見たくないものなんてもう現われはしないよ。
聴きたくない言葉なんて響かないよ。
ムカデももう追ってこない。
煙草だって控えるよ。
君と手をつなげる腕は残してあるよ。
二人でホームに下りる。
これで幸せだ。
たくさんの幸せだ。
「だよね。きっとそうだよね。」
手の先の彼女のほうに振り向く。
そしたら。
彼女は無表情で。
手を振り払い。
ただ。
「お願いだから勘違いしないでよ……大嫌いだからあなたのこと。」


電車の車輪の音がただ遠くなっていく。
僕は。

恋愛喜劇

いつもと変わらない朝の登校道。
僕はあくび甚だしく。
重い足を引きずっていつものように何をするわけでもなく学校へ向かう。
行きかう人たちの姿に、その人たちがこれから何をするのかなどを予想しつつ。
あの女子中学生かわいいな、などとこの生活に潤いを持ちながら。
毎日毎日変わらず繰り返されるこの生活にはもはや飽きを通り越してあきらめさえ感じている。
ああ、僕にもかわいい女の子の一人や二人声をかけてくれないかな。いやいないこともいないんだけどもっとなんていうか刺激というか。どきどきというか。
「ねぇ。」
この凝り固まっている日常を溶かす美少女が空から降ってきたりとか。
「っておい! 聞いてる?」
そんなジブリ的発想じゃなくてもたとえばあの角を越えた先で女の子とぶつかって、実はその子がうちのクラスの転校生で最初は言い争いばかりしていた二人 (もちろんその転校生と僕)だが、次第にいろいろ過去のことを知り、お互いに励ましあったりして実は向こうはこっちに気があって甘酸っぱくストーリーが展開していくとか。
「あのーもしもしー?」
あ、そうだ! 幼馴染だ。幼馴染。幼馴染が実はずっと僕のことを慕っていて高校生になったらさすがに気恥ずかしさが生じてしまいうまく話せずにいるけど、何かのきっかけで……たとえば事件に巻き込まれたりしてそれを僕が助けるざる状況になり、もちろん見事解決しそして昔から実は、なんていわれて赤面したりして。
「また妄想ですかー。盛んですね相変わらず。って――え。」
とにかく理由は何でもいいから潤いがほしいな。物語の主人公的にさまざまな女の子にすかれたりして。ほかの誰を見ていてもいいから、私はあなたを想い続けてもいい的なこといわれたりして。いいだろうなぁ。というか物語の主人公はできすぎなんだよな。普通あんなにもてるわけないだろ。いやまぁもてる人は確かにすごくもてるけどそんな人をわざわざ主人公にもってきてほしくないって言うのが読者の本心なんだと僕は思うよ。
「ああ、おはよう。明菜。」
先ほどからずっと後ろで気づいてもらおうとがんばっていた(僕が振り向いたときは体中を使って手を振り回していた)同級生の彼女に僕はようやく声をかけた。
「もう気づくの遅すぎ! なんなの。そんなに周りの中学生がかわいかった?」
唇を尖らし怪訝な顔で。なかなか面白い顔してるなこいつは。
「まぁそんなところかな。早いじゃないかお前にしては今日の登校。」
鈴川明菜は酷い寝坊屋で学校でも有名だ。
僕と同じクラスになった当初はそれこそ昼前まで学校に来なかったこともざらにある。
最近はわりかしましにはなったとは思うが、それでも遅刻の常習犯には変わりない。
「そりゃあたまには私だって寝起きのいい日くらいあるわよ。まぁたまにはあんたと一緒に登校してあげないとさびしがるでしょ。」
ここまではっきりいわれるとなんだか苦笑いしたくなるが、まぁ僕の潤いの一つは彼女にあるわけでそこは素直に、うんとだけ答えた。
彼女は当たり前のことのように手を差し出すと僕も当たり前のように手を握ってやる。
もちろん彼女とはとても仲はいいし、とても好きだ。
いろいろなこともやったし、もちろん今ここで言うに憚れないことだって。
いつも思うのは、こいつはとても素直な子だから、その分傷つきやすいということ。
だから僕は彼女を守るためなら何だってしたし、何だってしようと思っている。
いや、できないこともあるからそんなの嘘だけどさ。
それに今はもう現在形ではうまく表現できないな。
傲慢かな。
酷いかな。


一瞬の白昼夢の後僕は現実に戻される。
振り向いた先には助けを求めるように手を振る彼女の姿。
体中を使って必死に。
足があさっての方向に向いている。
それどころか無残にもとても直視できない量の血がコンクリートを伝って……。
なぜ僕は無視してしまったんだろう。いや無視? ただちょっとふざけて。
そしたら笑ってくれると思って。
そしたら唇を尖らして注意してくれると思って。
タイヤの後が鮮明に映る。
轢いといて逃げるなよ、畜生。
しかしそれより何より最悪なのは、僕がその彼女を見て助けもできず助けも呼べずただ立ちすくんでしまったことだ。
彼女は泣いていた。
そして手を振る力もなくなってそのまま。
そのまま。
そのままなんだよ。それ以上何も起こらないんだよ。
そのまま。
絶対的な言葉だ。
そのまま。
そのままなんなんだ。
誰か教えてくれよ。
僕に教えてくれよ。
普通の朝、道端にはたくさんの不幸が転がっている。
僕らはそれに気づかず、何一つ気づかず。
だからこそ他人の僕らは出会ってただただ恋をする。
彼女の冷たい顔に慣れてきたころ、僕はようやく電話を持っていることに気がつく。
急いで119とプッシュすると何をまず言うべきか頭のなかで思案しながら助けの声を待つ。
一瞬でとってくれるはずのそれの着信音が永遠のように感じて。
いっそこのまま切ってしまおうかとさえ感じて。

腕裂きジャック

作者もこの発想を思いついたときは陳腐だと思ったものだが。
最初に。
この小説は題名の通り痛々しいものにはならない。
主人公となるであろう人物も辛く痛くとしょっちゅう腕を切っているわけではないと明記しておく。
そもそも彼はあまりにもあっけらかんとそして余り深みに入らずにきっていた。
そして隠さなかった。
今の作者にはそれがある種の誇りにさえなっている。
さて。
追加するなら。
もちろん面白おかしくもならない。


さて、作者の学友Kについて。
一日聞き伝えから。


彼はとても几帳面な男である。
その日も、目覚まし時計を随分早くセットし、その通りに起き、丹念に顔を洗い、精密に歯を磨いたのだろう。
ある意味機械的に全てを終えると、栄養バランスをある程度考えた食事をこなしただろう。
作者の予想では、納豆と卵を二つ使った玉子焼きに白いご飯。あとはコンビニなどで買ったであろうサラダというところ。
そしておそらく授業開始の30分ほど前に大学に着くように嬉々とし登校したのだろう。
おそらくその行程で30分ほど消費したはずだ。


電車の中では夢うつつになりつつ席を確保し。
授業の内容を頭の隅に置きながら音楽でも聞いていただろう。
三十分ほどの登校時間にも一年になる。慣れはしないとしても痛みは痺れ始めていたと考えられる。
ちなみにこのとき作者はまだ夢の中で怖い思いをしている。


そしてようやく大学に着き、一時限からの授業のいい席を確保し。
ここからは作者の知っているものなので事実を。


作者が開始時間ギリギリに登校すると彼は後ろの程よい位置に座っていた。
作者とKはほぼ同じ授業を一日にわたり受講している。
授業が始まり先生の話が始まると、正直不真面目であった作者は彼の清潔な授業態度に半分ひやかし半分敬意を込めて。
「けなげだね。」
と発言したのを覚えている。
確かその時Kはうれしそうでも一種のからかわれた時の不快なそれもなく、
「うん。」
とだけ答えていた。


美術史論、写真論などのせめぎあいの中作者がまたもや夢の中で論争を繰り広げている間もKは非常に良く知識を得ていた。
事実、その甲斐あってか彼は非常に博識であり。
様々なものを心得ていたように思う。
しかしながらその反動に変な事を言う、または感知するほど少し神経質になっていた。


くだらない世間話をしている時、Kから「トイレから手が出てくる」と聞いた時、僕は酷く安易な発想だと笑ってしまった。
その調子で彼はいつも突拍子のない事を言う。
例えば煙草のフィルターに火をつけると良く燃えるとか。
例えば良きことも悪いことも想いひとつだとか。
例えばウッドベースの音が好きだとか。


作者はそういう話を常に聞き流し、容易いユーモアだの、ちょっとした変人衝動だの考えていた。
それがもしかしたら兆候であったのかもしれないと考えると、作者は後悔の念を辞さない。


さて4時限まで終えて、彼は音楽サークルへと向かおうとする。
そのサークルではセッションなる即興の演奏を主とした活動をし、彼のウッドベースはそのたびに轟くようだ。
あまり真面目に生きようとしない作者はそれを見送ると家路へ向かった。


ここからまた聞き伝えなため、推測を織り交じる事を許してほしい。


Kはその日随分調子が良かったらしい。
普段彼自身自分に自信がないためか、反省点ばかり追いかけているような活動をしていたのだが、その日は幾分演奏が上手くいき、おそらく彼自身も多少なりの満足感に浸っていたように思う。
サークルにはKの彼女も在籍して確か、その日もいたようだ。
仮にMとする彼女は、作者は余り接触がないのだが、どうやら偏屈な娘だったようだ。
学校のかかわりからかイラストに興味があった彼女は、学科の授業をほったらかしでイラストに没頭していた。
一度Kから自慢ついでに見せてもらった時その絵を見てどこまでも奇妙だと思った。
恐怖は感じない。
可愛さはあるものの、どこまでも皮肉と笑いに埋め尽くされているようだった。
その日もそのMとKはサークルの合間煙草を吸いに禁煙と書かれたスタジオの近くの溜まり場で愛でも語ったのだろうか。
今になっては知る良しもない。
もちろん全くといっていいほど女に縁のなかった作者には興味のなかったことでもあったが。


サークルが終わると決まって仲の良いグループと近くの定食屋で食事をしていたKは、その日も例にならってたわいのない話しをし、親睦を深め、サークルでの居心地の良い位置を築くためにもその会食に参加していたのだろう。
幾分顔の整って、清潔感もあり、理知的であるKはサークルでも人気があったらしい。
それを頻繁に冷やかしていた作者に、痛くもないような顔で笑っていた。
Kはいったい何を食べたのだろうか。
それに満足したのだろうか。
その時点ではけして苦しくはなかったとは思うが。


そしてKはまた同じ道のりをゆき帰宅しただろう。
その日はサークルの事もあってかKにはすこぶる気分のいい日だったはずだ。
鼻歌交じりでかえっていたのならいいと作者は思う。
そして後の話によるとKは部屋の掃除をしていたらしい。
隣人の通報によって発覚する四時間を考えるとおそらく二時間弱はそれに没頭していたはずだ。
おそらくゴミを全て整理し、分別し袋にまとめ。
カーテンもカーペットも須らく棚に上げ、掃除機をかけ。
もしかしたらトイレの掃除までしていたのかもしれない。
とにかくKはこの日、特別に掃除を頑張ったのだと思う。
また余談だが、作者は大の掃除嫌いで、暇があればそれを知っているKがきては掃除をしてもらっていた。
彼の掃除の仕方は性格通り几帳面で、まさに隅から隅まで徹底的に仕上げるいい奴だった。
枯葉掃除の合間に音楽を流していたのだろうか。
笑っていたのだろうか。
達成感に打ちのめされながら努力を重ねていたのだろうか。


Kの唯一の趣味はインターネットで会話をする事だ。
会話といっても文字でのだが。
作者自身もそれを好み、こうやって文章を書いている合間を縫ってはよくKと会話をしていた。
とてもくだらない事ばかり語っていた。
暗い事だって吐き出した。
二人してディスプレイの前で笑いあったりもした。
その日も取り止めのない事を言ったように思う。
腕を切っている話もした。
彼は最近あまりきらないと笑っていたように思う。
そういう話をするとある種の気まずさや、仕様のなさが生じるものだが、残念ながら作者もそういう状況が分かる、駄目人間だったため平気だった。
というより作者のほうがその店では重症だったようにおもう。
そして作者はこういってしまったのだ。
「お前も結局腕裂きジャックだよ。」
すると今度は彼は少しだけ嬉しそうに(といってもネット上のため記号でしか判断できなかったが)、
「うん」
とだけ答えた。
作者もいつもどおりだったためそれに何か言うわけでもなく時間だけ一刻と過ぎて言った。
後悔するほどの事ではないと思う。


そして最後に彼の証言を元にして。
Kは作者とのネット上の会話が終わると、須らく寝る準備に入ったという。
清潔な部屋で清潔な自分になり救われた気持ちになりすぐに寝れると思ったのだろう。
そしてベッドの上で転がりしばらく天井をぼんやりと見ているとふとし忘れた事に気がついたらしい。
これは急がなければ、と思い早速探し始めた。
けれどいくら探しても探しても目的のものは見つかりもしない。
30分弱部屋中を彼らしく隅々まで探した後気づいたらしい。
作者はそれを非常に彼らしくない事だと聞いた時思った。
しかし今となってはそれをいうことすらはばかれない。
「掃除機のフィルターの換えが見当たらないんです。」
彼はそう医者に言ったらしい。


そして、たまたまそばにあった高校の時部活に使ったバッドで掃除機に三発。壁に二十数発ほど叩き込み、部屋中を真っ赤に汚すように自らの頭部を壁に強打させ続けた。部屋が目も当てられないような状態になった後は、金属バッドを片手に街中で彼らしいあるものをひたすら破損して回っていた(何をかは作者の口からはとてもいえない)所を通報された。


それの通報にあい病院でのカウンセラーの結果、彼は今神経の病院へ入院している。
病名はあまりに恐ろしく滑稽なため、作者自身触れるのは伏せることにする。その恐怖のせいか見舞いの一つもいってやれてないが、彼はすさまじく硬直し目を仰いでは神経機敏を隠せずにいると聞いた。
恐ろしい。とても恐ろしい。
作者にとって分かち合える数少ない友人のKをそういう手段で失いかけそうになるのは非常に心もとない。
彼は今何を考えているのだろうか。
作者の事が少しでも頭に浮かんでいるのだろうか。
別れてしまったMへの未練はあるのだろうか。
果たして精神として幸せなのだろうか。
作者はそれが知りたい。
同時にもはや作者には知りえないことのようにも思う。


そしてこういう状況の今の平和さが際立った日本を感じ、作者は今現状までずっと恐怖を感じているのを最後に付け加えておきたい。

「妄想」

痛い痛い。
何よりも気持ちが痛い。
私という生物が感情を伴っているという事が。
その上、こんなにも欲望や危険や生命を感じてしまう事が。
苦しみぬくという事が、何かしらの結果を生むことだと信じていた事が。
命の尊さよ。
愛情の温もりよ。
飯を平らげる。それだけで。
道を進む、それだけで。
何もかも満ちていたあの頃。
前の奴にも後ろの奴にも。
どんな奴にだって感謝できたあの頃。
今はもうない。もうここにはないのだ。
散々なるこの大地の上で、内臓も脳漿も感情でさえもむき出しだ。
何もかも晒された上で不条理の前で佇んでいるのだ。


痛い痛い。
何より意味のない結末が痛い。
しかし私は今許しは満ちている。
祈りは私の心に満ちているのだ。
なんという幸福だろう。
心地良い感覚だ。
痛みでさえも天からの理不尽でさも許せる。
不条理でさえ理解できるのだ。


ただ、先にたつ事で。愛を守れず、糧も生れず消えてしまう事で。
私というこの世界における矮小ながら、役割を持ち加担してきた存在が。
この場で残りのものを果たせずに逝くのが何よりの後悔だ。
時間よ待ってくれ。
この木偶に過ぎない私を置いていかないでおくれ。
私は。
まだ私は。


僕は、靴の下でそんな事を考えてるんじゃないかと、価値はもはや逆転されたんじゃないかと不安になって、黒く光った蟻を弔い泣いた。

理想の彼女

世の中に吐いて捨てるほどいるこの今の地球で、自分の理想に見合った人を見つけることは酷く困難だ。
ましてや生き抜く事ですら恐ろしい。
甘えが充満している。
事実に硬直している。
それを考えると僕は、まぎれもなくここで、途方もないくらい幸せだ。
幸せだ。
しかしながらそれはあくまで全体と照らし合わせた相対的なものに過ぎず、僕の心の状態はというと完璧にそれとはとても言いがたい。
相対的なものですら確かにはならない。
二つに一つしかない選択肢で僕の心はあらぬ方向へ動き始めている。
理想というものは排他的である。
それゆえに酷く幻想的だ。
理想というものに忠実に完璧であろうとするには、またそれの中で生きようとするならなおさら、結局は全てを自分で作るほか無いのかもしれない。


彼女。
僕の紛れもない彼女だ。
明ける前の夜のような人だ。
過ぎ去った電車の余韻のような人だ。
赤ん坊のように無垢で大きな目。骨格も非常に整い、寒気がするほど黒く細い長髪。眉は柔らかくあり少し強気な性格を思わせるはっきりとしたもので、美しい少女のような綺麗な声。
それはまるで子供のよう。あどけない存在。
無垢で汚されもしない胸像のよう。
頬は少し赤みがかり、少しだけ厚い唇は血のように赤く染まっている。
それを見て僕はかろうじて彼女が体中に轟々と生命を流しながら生きていることを確認する。
デジャブのような存在。
何かに似ている。


その体は、その幼い顔とは不釣合いなほど、ふくよかな胸。その細い手足を支える大きすぎない腰周り。まるで濃厚なワインを入れたグラスのように心地良いくびれ。背丈は高く肉付きもよい。弾力のある肌は抱きしめるとたまらなく体中を痺れさせてくれる。
吐き気がするくらいのその肉は、獣さえ食うのをためらうだろう。
肌は酷く透きとおり、しかしそれ以上に性的だ。
神の作品なのだろう。
世界で唯一存在より神秘が勝った生物だ。
何かに似ている。


なにより彼女は造形的に完璧に僕の理想その物だった。
彼女を見た瞬間僕の鬱々とした精神は何もかもを失った。
そして祈り願い確信した。
それが僕のために生まれたものである事を。
僕が常に求め続けていたものが終に具現化されたということを。


そして今彼女と一緒に暮らしている。
毎日のように会話をし、傍にいる。
いつだって彼女は決して怒らず泣かず、かすかに微笑み続けている。
僕に甘えるようにくっついて、僕のために息をする。
僕のために飯を食べ、頬を赤らめ、思い煩う。
ありとあらゆる僕を受け入れ、その行為自体を幸福と感じている。
この酷く退廃しきった状況にさえ満足し、おそらく死ぬまで望み続ける。
変化などとうに忘れてしまっただろう。
僕にとって何よりの彼女。
理想の彼女。


また今日もスイッチを入れる。
ためらうものは何も無い。
誰のためでもなくこの状況を想う木偶だけのために。
そして彼女とゆっくりと、そして味わうように会話する。
この片隅で。目を見つめ。
会話はいつだって唐突に始まる。
「人はなんでこんなに不完全なのかな。」
彼女はいつだって微笑んでいる。
まるで微笑んで生れそのまま死ぬ人形のように。
「あら? あなたは私の完璧な人よ。」
息が僕に届く頃には僕は幻想のようなその一つの音の響きに驚愕する。
救済を追及したような記号の集合体。
解けるまもなく僕の中の蟠りが静かに音を立てて壊れていく。
それでも僕は相変わらず自分が嫌いで、やるせなくて、たまらなくて。
「君に後悔はないのかい?」
もはや僕にためこんだ鬱々とした表情はない。
ただ痛みのような罪悪感と依存だけだ。
「悔やむならば、それはきっと今だあなたを救済できない出来損ないの私だけだわ。」
それはよくない。
完璧なアナタが自分を卑下してはいけない。
それは神に対しての冒涜だ。
天使の存在しないこの世界の不条理だ。
あなたの正当性は火を見るより明らかだ。
それを責めてはいけない。
ましてや僕など。
「今からここを飛び出せるならば、君が紛れもなく君ならば。」
そうだ。
僕はいつも考えている。
もはや現実を凌駕したその想いを。
僕の不幸による正常を。
「私と私が一致していれば、私は私では決して無いのよ。アナタという片割れを落としてしまえば、私なんてただの肉の塊に過ぎないのだから。」
理解できない。
醜い僕の効力など。
汚いこれの強さなど。
皮肉にもこれ以上なく酷く心は満たされる。
残酷な気持ちにさえなる。
このまま一緒に生きていきたい。
そんな醜い願望がドロドロと零れ落ちる。
「僕はこんなにも酷い事ばかりやってきてしまったんだよ。助けも何も要らない。もはや存在という君に酷く背徳心さえ感じているんだ。」
最近の僕は胸がうずくから、決まって愚痴をこぼす。
まるで僕を追い詰めるように。
まるで今の状況をにらみつけるように。
おそらくそれが最後の手段だ。
この絶望に対する終わるべく用意された手立てだ。
「でも、あなたはこんなにも優しいでしょ?」
なでられた髪は不潔にも油まみれだ。
そんな事など初めから触覚が反応していないかのように彼女は笑う。
僕は涙をこぼす。
子供のようだ。
畜生のようだ。
親に対しても余り愛情を実感できなかった僕がそれを彼女と重ね合わせる。
酷く醜い。とりとめもなく声に出す。
もはやただの犬の口笛のようだ。
言葉にならない想いが記号にすらならず漏れ出す。
彼女はそれを見て少し哀しそうに笑って、でも少し優しくて、そっと抱きしめてくれる。なんの躊躇もなく。
自然がそうであるかのように。
そしてポツリと確認するようにささやく。
「私の全てをあげていいのよ。あなたのためなら、なんだってできるわ。わたわたしのすべてすべはあなたたたのためめに。」
あ。
絶望が胸をうずかせるが、もはや慣れたものだ。
僕は静かに腕の時計に目を当てる。
そろそろ時間か。
僕は少し苦しくて、酷く心が荒みそうになるけれど、反面いつだってこの瞬間を待ちわびている。
目の前は少なくとも変わらないから。
彼女は決していなくならない。
いなくならない。
いなくならない。


僕は一度しか擬似人格形成装置のスイッチは押さない。
それ以上はいつだって無意味だと分かっているから。
「あーだ。あだーあ。あばばばばばばば。」
今の彼女は本来の忌み嫌われた奇形生物に過ぎない。
美しき獣。
残酷な完全。
完璧すぎる矛盾した体を得るにはもはや特殊な細胞じゃないといけないのだ。
世界は痛みだ。
不条理は悪だ。
亜人間廃棄工場で肉として処理されるべき家畜。
美しいこの体ですら、正常な人格を持たなければただの肉の人形とみなされてしまうこの時代。
役に立たなければもはや価値がない社会。
僕はいつものように軽い頭痛を感じ、吐き気がして、そしていつものように改めて彼女を抱きしめる。
彼女は自ら快楽を得るために進んで体を摺り寄せる。
僕はそんな彼女に少し救われてだけどやっぱり哀しくて、自我を忘れて真っ白になった頭の中で体に素直に動かす。
引き裂くように。
むさぼり続け。
何度も何度も突く。
何度も何度も転げまわる。
寒いほどの快楽だ。
美しいほどの痛みだ。


世に言う二次元愛好者である僕が、三次元では到底なりえない性質を求めたばっかりに。
それが叶ってしまう奇跡にめぐり合ったばっかりに。
この偶然に。
この状況に。


神様には感謝してる。
仕合わせが訪れた幸せな僕。
しかしそれ以上にこの世界を憎んでいる。
理想は酷くもろすぎる。
彼女といる事が幸福すぎて痛いのだ。
世界の歪みはなぜこんなに中途半端なのだろう。
感情さえなくなれば。
もっと欲望ばかり追い求めていれば。
僕はもはや果て落ちた自分に少し笑い、汗まみれでしかしながら素晴らしい彼女に毛布をかける。
虚無感に苛まれながら。
しかし現代社会の愚考の産物に明日も手を伸ばすのだろう。
意志を汲み取って人格を形成するなどという悪魔を。
醜く世界を侵食する人間、そんなものの祈りなんていつだって二つで十分だ。
ただこの日々が永遠に続きますように。
そして独りで死ねますように。