恋愛小説

 僕がパソコンでいつものように作業をしている時の話。


 僕はパソコンをしている時、いつも部屋全体の照明は消している。
 それが目に悪い事は確かに分かっている。しかし、一人暮らしのために電気代が少し気になるのとディスプレイからの光だけのほうがなんだか作業に集中できるのとで昔から消しながらやるのが癖のようになっている。
 作業と言ってもプログラムを打つとかサーバーを管理するとかそういう小難しい事ではなく文章創作だ。僕は売れずにいる小説家もどき、つまりはアマチュア文章書き。次のコンクールで応募すべき小説を書いては消して、書いては消しての繰り返しばかりやっている。
 小説というものは不思議なもので、頭の中であらすじを変に固めて書き始めてしまうと書き終わった後切羽詰ったものになってしまう。切羽詰った、というと つまりは一文でころころ展開してあっという間に終結を迎えてしまう。ようは展開させようと意識しすぎて展開をせかすような小説だ。その余裕の無さは文章の薄っぺらさに見え、内容を上手く受け取りにくいものとなってしまう。
 もちろん頭に物語を完璧にインプットしつつ思い通りに余裕の在る読みやすい文章を進めている人もたくさんいる。しかしながら僕の場合は文章力の無さのせいか、はたまた元々心に余裕がないせいか、意識し文章にめいっぱい余裕を持たせないと、あるいはたとえ持たせていたとしても薄っぺらくなりがちだ。
 だから僕はパソコンで文章を書いているとき、元々弱い頭を回転させて書こうとは思わない。いつも頭を小説の事で詰め込むのではなくぼんやりとして思いついたことをどんどん書き、変だったら消し上手くつながっていたらそのまま進めていく。その無意識的な作業によって案外物語も円滑に進んだりするから不思議なものだ。
 少しくらい余計な物事をあれこれと考えている小説のほうが僕が作るにおいてはちょうどよく読みやすいのだ。


 さて、いつものようにありがちながら僕お得意の恋愛小説を書いていると、なんだか調子よく上手い具合に文章が進む。まるで湯水のように次の展開が見え、物語の流れ方ももアイディアもどんどん溢れパソコンを打っている手も止められない。
 僕が描きたかった主人公とヒロインの好きなのにちょっとした心のずれで起こる切なさも自分なりに上手く描けているし、彼らをとことん邪魔する嫌な脇役も読者を絶妙にはらはらさせている。この脇役が曲者で、ふとした一面で読者を引き込むような表情を見せる事によってその嫌味さも僕が言うのもなんだけれども味が出てきていると思う。
 物語も最後に向けてどんどん盛り上がってきているし、色々読者の心に訴えこむような僕自身が言いたかったメッセージも自然に物語のところどころにちりばめて僕の中でも満足できそうだ。
「僕ってもしかしたら天才かも……」
 そう次のコンクールの結果を一人で勝手に妄想しながら真っ暗な中ひたすら指を動かしている。
 しかし順調に物語を進んでいく、こんなに順調に進んでいく……そのうちなんだか不安に襲われてきた。
 登場人物たちもとても輝いているし魅力が在る。
 物語だってこれ以上に無いほど斬新で読み応えが在ると思う。
 ちょっとした笑いだって散りばめて在るし、読者を退屈させないくらい色々な出来事が起こる。
 それによって主人公は成長し、どんどん読者からも好意的なキャラクターになってるはずだ。
 しかし、しかしながら……この物語はまるで僕の全く知らない物語となりつつあるのだ。
 僕は書きながら少しだけ身震いをした。


 ヴァレンタインデーにヒロインは主人公にチョコレートを渡して告白しようとする。しかし脇役のあいつがそのチョコレートをもらった主人公をはやしたて、主人公も変にそれを恥ずかしがり本当はヒロインの事を愛しているくせに断ってしまう。
 主人公は夜そんな想いをパソコンでブログに書き込みネット上で知り合った友達にひたすら愚痴っている。実はそのネット上の友達もあの嫌な脇役でネット上で励ましつつもその彼女の事を諦めようと促す。
 ヒロインはというとその夜断られて今手の中に在るチョコレートをやけ食いしている。手作りのチョコレートだ。一口かじってみると少しだけしょっぱくてやっぱりあげなくてよかったかな……と一人でつぶやくとまた哀しくなって。


 展開としては読者をやきもきさせて文句ない。しかしこの場面は予定ではこんなはずではなかった。確か僕の予定ではヴァレンタインで二人は結ばれてハッピーエンド。脇役も二人を認めて、自分がそうせざるを得なかった過去の傷を語り読者も納得、だったはずなのに。


 ネット上で脇役は言う。
「そんなに諦められないんだったらさ、その娘殺しちゃいなよ。だって愛してるんでしょ?」
 主人公はその一言に納得する。俺はあいつが好きなのだ。涙が出るくらい愛しているのだ。いつまでも抱きしめていたいのだ。いつまでもあの笑顔を見ていたいのだ。一つになりたいのだ。自分とあいつという区別がもどかしいのだ。一つとして存在していきたいのだ。


 あれ?こんな暗くなるはずじゃなかったのにな。一旦消してやり直すか。
 しかしBackSpaceを押すのがなんだかもったいなくなりそして指は止められないほど物語りはうまく進んでいく。まるで一人で物語が歩いてるみたいに進んでいく。


 主人公は昔誕生日に親に買ってもらったナイフをポケットに忍ばせて外に出る。外は頬をさすほどの寒さだ。街頭の光も薄暗く心は酷く沸き立つ。今この瞬間僕は自由だ。何にも支配されていない。そういう気持ちが胸の奥で湧き立った。ふいに笑いそうになる。こらえようとするがこらえきれず口から漏れる。ケケケ。ケケケ。ククク。クククク。フフフフ。


 これじゃあ主人公が悪い奴みたいじゃないか。設定ではバスケ部キャプテンで頭も良くて女の子にも人気。とてもさわやかな高校生。だけどプライド高くとっつきにくいという事は無く人の事をよく思いやり、昔は確かに子供っぽい考えだったがたくさんの学校での波乱の末物事を強く見据える人間になっている。


 ヒロインの家は自転車で15分程度はなれた場所に在る。実はいままでずっと彼女が一人で帰るのをずっとつけていたのだ。興奮して体が火照ってくる。まるでバスケで相手を追い抜くごとに体が笑っているように赤くなる時みたい。ヒロインの唇を想像する。あの震えるほどの唇はどうしよう。楽しみだ。本当に楽しみだ。


 確かに主人公はヒロインのあの笑顔が好きなんだけど、バスケも敵チームをどんどん抜いていくっていう場面も書いたけど……そうそうヒロインはその試合で主人公を見て好きになるんだ。やっぱりそういうさわやかさと男らしさがアピールできる場面は使いやすい。そしてヒロインはマネージャーになる。


 ヒロインの家の前に着いた。自転車を降りてケヘッと口の端が伸びていく。あの子はおそらく落ち込んでいるだろう。もしかしたら泣いているのかもしれない。俺が慰めてやろう。俺が慰めてやろう。俺が慰めてやろう。ヒロインの家のピンポンを押す。友達だと言ってドアを開けてもらう。でてきた彼女の母親を刺す、刺す、刺す。ゴボボボボと母親は口から音を出しそのまま血まみれになって倒れこむ。もうすぐだ。もうすぐだ。もうすぐだ。不穏な雰囲気を感じてか父親も出てくる。メガネをかけたいかにもサラリーマンという感じの男。彼女はどうやら母親似だな。よかったあんなに可愛く産まれてきてくれて。こんなにならなくて。父親がさっきまで生きていた自分の妻の変わり果てた姿に唖然としている間に彼の胸元に飛び込んで刺す、刺す、刺す。父親の断末魔むなしく夫婦揃って血まみれだ。なぜだ?と聞く。娘さんを俺に下さいと言う。返事する前に彼は死んだ。彼女の部屋はきっと階段の上一歩一歩のぼる。踏み込む時の床のきしむ音すら僕には心地良い。もうすぐだもうすぐだもうすぐだ。


 うーん、主人公はずぼらなように見えるけど本当は心優しい青年で両親も大切にしているしいじめられている子もほっとけないって書いたんだけどなぁ。設定としてすこし弱かったかな? ヒロインが話しかけた時だってぶっきらぼうな態度だったけどその内在する魅力が溢れるように慎重に書いたし、例のヴァレンタインだって断る言葉が優しさに満ちていたはずだ。


 部屋を手当たり次第に空けていくとヒロインはすぐに見つかった。真っ赤にはれた目で下で何があったかも知らずチョコレートを食べている。それは何かにしがみつくようにもくもくと食べている。いや、あれはチョコレート……? よくよく目を凝らしてみると彼女の指は半分近くなくなっている。主人公は可笑しくて可笑しくて仕方なかった。こいつもか。こいつもなのか。彼女も気づいたらしく笑い出した。キャッキャッキャ。キャキャキャキャキャ。俺も笑った。ケケケ。クククククク。そして次の瞬間俺は何度も彼女を刺す、刺す、刺す、刺す、刺す。胃から赤黒く流れているものは胃液で溶けたチョコレートかな? それとも彼女のただの血か。いくら刺しても彼女は笑い続ける。キャッキャッキャ。キャッキャッキャ。赤ん坊のように。少女のように。俺はもう笑わない。むしろ怒りさえ抱きながら彼女を刺し続ける。くらえ、くらえ、くらえ、くらえ、くらえ、くらえ、くらえ! 腹を刺す。胸を刺す。背中を刺す。のどを刺す。のどを刺すとさすがに声が出ないようでヒューヒューとのどの穴から音が出るだけになった。ゴボゴボ血が噴出す。合わせて78回刺した後ついに彼女は息絶えた。ざまーみろ。俺はつぶやく。彼女に対してなのか自分に対してなのかわからないままつぶやく。そして最後俺は……


 酷いなぁ。なんてひどい物語なんだ。彼女を殺してしまうなんて最低じゃないか。まさに本末転倒じゃないか。これじゃあいけない。こんな不幸な恋愛小説なんて書きたくない。こんなの僕の望んだ形じゃない。
 僕はそう思うと今書き出しているファイルごと消してしまった。ああ、勢いに乗ったとはいえとんでもないものを書いてしまった。われながら恥ずかしい。ヴァレンタインで幸せになるところから書き直そうかな。脇役の過去のトラウマも大切に書いていかないと。もっと大事に大事に書いていかないと。みんな幸せにしてあげないと。心温まるようなものにしないと。嬉し泣きするくらいじゃないとな。


 そう思い立ち一旦休憩を入れるべく手を休める。一度目を閉じ、目を開けて辺りを見回してみる。目に映る映像。つまりはキーボードもディスプレイも僕の服装。それが、だ。
 酷く血まみれ、だった。目をこする指も真っ赤だ。キーボードは血がところどころ固まり茶色く変色している。やっぱり母音の部分が一番汚れが酷いな、とふと頭によぎった。余計な事を考えるのが僕のやりかただからかな。
 横には美しい女性の生首が在る。当然のように笑顔でベッドの上に置いてある。
 ああ、小説に夢中になりすぎて設定に自己投影しすぎたな。これはきっといけない癖なんだと思う。
 小説家が小説を書いている場面を書いた小説。
 僕は実際はまだ高校生。今年バスケット部のキャプテンになったばっかりじゃないか。ブログの日記にいつものように自分を演じて書いていたんだった。
 僕はなんだか気が抜けて、椅子に力なく倒れこむ。
 後ろであの脇役じみた顔をしたあいつが笑っている様な気がした。振り向こうとしたがその力すら沸かない。その姿が実像だろうが虚像だろうが結果は一つだ。笑っている。ちょうど今の僕みたいな顔で。